プロでもセミプロでもアマチュアでも、情熱と計画性をもって、挫折を乗り越えて音楽を続けることは素晴らしい。
しかし、モラトリアムや逃避や依存の罠に嵌って、周囲を巻き込んで不幸の連鎖に陥っている人も時々見かける。
挫折の繰り返しの先にあるもの。
プロになることが、そのゴールなのだろうか。
いや、プロになってからも挫折は続くので、それも通過点なのかもしれない。
やはり、挫折は生涯繰り返すもので、そこから立ち上がれなくなった時が引退の潮時、と僕は考えている。
「挫折の繰り返しの先にある、モラトリアムや逃避や依存の罠」は非常に重要なテーマなのだが、それを書く前にその対比として、今回は、音楽家のプロというものについて、詳しく書いていこうと思う。
プロであることは、簡単に言えば「需要に対応できる能力のある人」である。
しかし、その需要というものは、マス(集団、大衆)の心理や感情、テクノロジーの進歩、景気動向や為替相場まで関係する、言わば「変数」のようなもので、その実像を掴み切れる人は少数であるし、その人々は誰もが名を知る成功者である。
それを踏まえて、僕はプロとして必要な能力を3つに分類している。
もちろん、演奏力や創作力、編曲などのスキルは、プロのレベルに達していることは前提条件として。
1、今ある需要に応える能力があること
2、需要を掘りおこす能力があること
3、需要を創造する能力があること
僕は1、と2、が少々といったところか。
その3つの能力について、掘り下げて書いてみよう。
1、今ある需要に応える能力があること
この能力にはミクロとマクロの視点が必要だ。
ミクロの視点の例で僕の現場での例をあげると、編曲の打ち合わせ時は、メーカーのディレクター、作曲家、歌手、事務所のマネージャーが同席することが多い。
最近はメールのやり取りで終わることも多くなってきたが、僕には顔を合わせて打ち合わせする方が、後々に問題が起こり難いように思う。
なぜなら、譜面や音源や言葉の裏にある、本当の要望が探れるからだ。
メールのやり取りだけだと、ディレクター視線(場合により作曲家)だけになる危険性がある。
重要なのは「誰が原盤権を持つか」で、その制作費を出す人の要望を探ることがその仕事の成功に繋がるように思う。
例えば、原盤制作費が事務所持ちで、歌手の有力な支援者が事務所から多数のCDを買い取り、それが原盤制作費の原資になる案件があったとする。
ディレクターがシンプルでオーソドックな編曲のオーダーだったとしても、歌手や支援者サイドではできるだけ派手でドラマチックであって欲しいと思っているようなケースは意外に多い。
その支援者が打ち合わせに同席していない場合、世間話などをしながらマネージャーや歌手から探っていくしかない。
注意しなければならないのは、メーカーと事務所で折半で原盤制作費を持つ場合だ。
普通は事前に話がまとまっていることも多いのだが、それぞれの意見が違うことも稀にはある。
僕の経験上、意見の違うそれぞれのオーダーをききながら編曲すると、可もなく不可もない味の薄い作品になってしまうことが多い。
どのケースであっても、全員一致の意見は「ヒット」なので、そんな仕事をしたら次は無いと思う。
そんな案件では、僕は歌手が歌って幸せになれるような編曲を先ずは考え、それから可能な限り他の意見を取り入れるようにする。
ただ、経験の浅い歌手の場合、自分の歌いたい歌とファン層が望む歌とのズレがある場合がある。
その場合は誰が一番主導権をとっているかの見極めが大切だ。
マクロの視点では、自分の軸足がどこかをはっきりさせることが重要だ。
選択する側に対して、何が得意か、何を任せれば安心か、はっきりとした解りやすさが必要だ。
なんでもできる才能を売りにしても、選択し難い才能と思われやすい。
どんなに才能豊かであっても、先ずはキャッチフレーズが必要だ。
僕は自分のことを、ジャンルを問わずに歌ものも劇伴もレコーディングエンジニアもできるサウンドプロデューサーと思っているが、「歌もの編曲のDeep寿」とアピールするようにしている。
信頼を掴んだところで、いろいろ広げていった方が良いと思う。
そのアピールするポイントとして、そこに需要があるという見極めが必要だ。
演歌歌謡曲をバカにする方もいるかもしれないが、そこには日本の年齢別人口の中で最も人数が多く、今だにCDを買っていただける分厚い層があり、都市部だけではなく全国津々浦々まで広がる大きなマーケットがある。
確かに、だれでもいつかはシニアになるわけで、もちろん、その時代時代にあった演歌歌謡曲を常に模索しなければいけないと思う。
僕は、その大きな需要のあるなかで、それを満たし、尚且つ自分の美学を反映させる実力のある編曲家でありたいと思っている。
長くなってしまってので、「2、需要を掘りおこす能力があること」「3、需要を創造する能力があること」については、次回に詳しく書いていこうと思う。
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